ロールス・ロイス歴史〜♪

歴史

創業者たち
ロールス
チャールズ・スチュアート・ロールズ(Charles Stewart Rolls 1877年〜1910年)は、

上流階級の家に生まれたスポーツマンで、ケンブリッジ大学在学中から黎明期のモータースポーツに携わった自動車の先覚者であった。

学生時代には自動車速度制限法として悪名高かった「赤旗法」廃止に力を尽くし、イギリスの王立自動車クラブ(RAC)の前身となる自動車クラブの設立にも寄与した。

卒業後の1902年には、親友でRAC幹部でもあったクロード・ジョンソン(Claude Goodman Johnson, 1864年 - 1926年)を右腕に

欧州車の輸入代理店C.S.ロールズ社 (C.S.Rolls&Co.) を設立して、
自動車の輸入ビジネスを営んでいた(フランス製のパナールとモール、
後にはベルギー製のミネルヴァを扱っていた)。


1900年前後のイギリス車は、
欧州大陸諸国(フランスやドイツ)に比して技術的に遅れていた。
見るべきものとしてはフレデリック・ランチェスターが開発した先進的な小型車「ランチェスター」が存在したが、
これはかなり特殊な設計の自動車で、一般的でなかった。

当時のイギリスの自動車市場をリードしたのはフランス車であった。
ロールズも大型のフランス車に乗ってレースに出場しており、
彼が1903年にダブリンで149 km/h(93マイル/h)の世界速度記録を達成した車は、自ら輸入したモールであった。

ロールズとジョンソンは、イギリス人として、
欧州大陸の水準に比肩しうるイギリス車が存在しないことを常々残念に思っていた。

ロイス
フレデリック・ヘンリー・ロイス(Frederick Henry Royce 1863年〜1933年)はリンカーンシャーの貧しい製粉業者の家に生まれ、
9歳で働き始めてから苦学を重ねて一級の電気技術者となった立志伝中の人物である。

1884年、20歳で自らの名を冠した電気器具メーカー、F.H.ロイス社 (F.H.Royce.Co) を、マンチェスターに設立した。


努力家で完全主義者の彼は、
火花の散らない安全な発電機とモーターを開発して成功を収め、
更に従来は人力に頼っていた小型定置クレーンを扱いやすい電動式に改良して成果を挙げた。

1902年、
長年の過労で体調を崩して療養を勧められたロイスは、
療養中にフランス製のガソリン自動車「ドコーヴィル」 Decauville を購入した。ところがこのドコーヴィルは扱いにくい上、度々故障を起こし
、幾度修理を重ねてもまともに実用にならなかった。
ロイスは強い不満を感じた。


またその頃、
人件費の安いアメリカやドイツのメーカーが、
ロイス社の市場に競合相手として出現してきた。ロイス社は新しい分野の市場を開拓する必要に迫られた。

自動車の将来性に着目したロイスは、
こうして自ら自動車を製作することを決意した。

1903年から
自社の優秀な電気工数人を助手として、マンチェスター・クックストリートの自社工場で開発に着手。
昼夜を次いでの開発作業の結果、極めて短期間のうちに試作車を完成させた。


1904年に
完成したロイス10HP車は、Fヘッドの直列2気筒2,000 ccエンジンを前方に搭載し、3段変速機とプロペラシャフトを介して後輪を駆動する常識的な設計だった。

奇をてらわない堅実な自動車で運転しやすく、
極めてスムーズで安定した走行性能を示し、実用面でも十分な信頼性を持っていた。

メカニズムについてはあくまで単純で信頼性の高い手法を取ったが、
トレンブラー高圧コイルとバッテリーを組み合わせた点火システム、
そしてガバナー付の精巧なキャブレターは、当時としては最高に進んだ設計で、エンジン回転の適切なコントロールができた。



4月1日に行われたテストドライブでは、時速16.5マイル (26.5 km/h) のスピードで145マイル (233 km) を走破した。

この優秀な小型車に、偶然マンチェスターを訪れたヘンリー・エドマンズ (Henry Edmunds) が着目した。
彼はC.S.ロールズらの知人で、ロールズが優秀なイギリス車を求めていることを知っており、早速コンタクトが取られた。



ロールス・ロイス成立

1904年5月、
マンチェスターでロイス10HPに試乗したスチュアート・ロールズとクロード・ジョンソンは、性能の優秀さにいたく感銘を受けた。

ロールズは「ロイス車の販売を一手に引き受けたい」と申し出、
ロイスもこれを了承した。

以後ロールズとロイス、そしてジョンソン(彼はその働きからRolls-Royseの"-"(ハイフン)と評された)のチームは、
相携えて高性能車の開発、発展に著しく寄与することになる。


しばらくは両者は別会社の形で「ロールス・ロイス」 Rolls-Royce ブランドの自動車の製造・販売を行った。
C.S.ロールズ社とロイス社自動車部門の合同で「ロールス・ロイス社」 Rolls-Royce Ltd が設立され、
名実共に「ロールス・ロイス」となるのは1906年である。


当初、
マンチェスターのクック・ストリートにあったロイスの工場で生産が行われたが、1908年にはダービーに本拠を移している。


ごく初期の1905年式ロールス・ロイス。
おそらく2気筒ないし3気筒型と思われるロイスは1904年末から2気筒車とその気筒数を増やして延長した3気筒車、4気筒車、6気筒車を製作、当時のイギリス車の中で性能的に群を抜いた存在として注目され、フランス パリでの展示会でも高く評価されるなど成功を収めた。


既に「パルテノン神殿をモチーフとした」とされる独特のラジエーター・デザインはこの頃に定着していた。

最初の2気筒10HPは6台が現存している。


4気筒モデルは1905年、
ロールズらの運転でマン島T.T.レースに出場、健闘を見せたがギアボックスのトラブルで2位となった。

ロールズは翌年のT.T.レースでは雪辱を果たし、平均時速39マイル (63 km/h) の快速で優勝している。

そ〜〜なんだ、、

って  歴史って  偉大な秘密が隠されていますねぇ〜^^ kei




posted by kei at 23:56 | TrackBack(0) | 高級車〜って♪^^

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